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   <title>お菓子と栄養</title>
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   <subtitle>チーズ味のお菓子～栄養やら</subtitle>
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   <title>エネルギーというもの　3</title>
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   <published>2012-01-06T03:11:35Z</published>
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   <summary>同じ美しい景色を見ても、人によってその味わいかたはまったく異なっています。 感覚...</summary>
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      同じ美しい景色を見ても、人によってその味わいかたはまったく異なっています。


感覚のするどい人はより高い周波数の波動をキャッチして、鈍い人よりはいきいきとした色彩を感じとることができます。


同じ赤でも人によって見ている色が微妙にちがい、同じ音でも聞いている音に多少の差があります。


・・・人の会話においても同じことがいえます。


わたしたちはかならずしも全員が同じことばを聞いているわけではありません。


ことばの解釈の差ばかりではなく、受ける波動の差で、聞きとる内容が変わってくる場合があります。


同様に、味覚も波動をつうじておこなわれます。


たとえば、同じ甘さでも人によって感じかたがちがうのです。


この波動はよろこびをもたらしもしますが、そこに欲望がからんでくると、面倒をひき起こすことにもなります。


音の波動をつうじて美しい歌曲がこころのなかにはいってきます。


・・・すると、その歌曲を愛するあまり、それを所有したいという欲望が生まれるのです。


      
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   <title>エネルギーというもの　2</title>
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   <published>2011-12-06T03:10:36Z</published>
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   <summary>あらゆる生き物は、宇宙に遍満している電気的な生命力の流れとともに脈動しています。...</summary>
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      あらゆる生き物は、宇宙に遍満している電気的な生命力の流れとともに脈動しています。


その脈動、振動、波動は目には見えないのですが、手で、指で、感じとることができます。


わたしは木に、イヌに、ネコに・・・


もちろん人間のからだに、そっと手をふれるだけで、その波動が感じられるようになるまで訓練を重ねてきました。


たいがいの人は光の周波数によって色が変わって見えるという、あの色のスペクトルの波動なら理解しています。


基礎科学を学んだハイスクールの学生ならだれでも、赤と紫が虹のスペクトルの両端にあることの理由を知っています。


波動はまた、音楽やことばなどの音もつくりだします。


じつのところ、人間のあらゆる反応は波動的な反応なのです。


わたしたちは五感・・・


視覚・味覚・嗅覚・聴覚・触覚をつうじて、ほとんどの波動に反応し、わたし好みのいいかたをすれば、母なる自然の仕事を味わっています。


・・・ところが、感覚は個人差が大きいから、内外の波動にたいする反応も人によって変わってきます。



      
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   <title>エネルギーというもの</title>
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   <published>2011-11-06T03:09:38Z</published>
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      神はエネルギーというかたちをとって、わたしたちひとりひとりの内部にいます。


現代では、ほとんどの人が、神は内部にではなく外部にいると教えられています。


それがまちがいのもとだと、わたしは思っています。


神が内部にいると信じることができれば、自分のからだをもっと大切にするようになります。


からだこそ、神殿そのものなのです。


じっとして動かないものはなにもありません。


すべては振動しています。


あらゆるものは、ほんのかすかではありますが、動いているのです。


あなたがまいたトウモロコシの種子の、芽をださせるものはなにか？


ヒヨコはどのようにして殻を破り、たまごからでてくるのか？


・・・すべては振動のなせるわざです。



      
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   <title>&quot;対策病&quot;とは？　その4</title>
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   <published>2011-10-31T06:21:08Z</published>
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   <summary>R型の典型的な特徴の第二は、問題が起きたとき、対応した人間の意識やありかたに着目...</summary>
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      R型の典型的な特徴の第二は、問題が起きたとき、対応した人間の意識やありかたに着目し、その人間を責める、ということです。


その当事者が他人である場合は、「だいたいあいつの態度は、あいつのやりかたは・・・」からはじまって、極端な場合には、「あいつさえいなければ・・・」となってしまいます。


これでは問題は片付かないでしょう。


なぜなら、「あいつ」を変えることは容易ではないし、いわんや彼をいなくなさせることはできない相談だからです。


当事者が自分である場合はどうでしょうか。


この時によく出てくるのが、「先入観」「固定観念」あるいは「不注意」という類の言葉です。


「つい、先入観でやってしまって・・・」、次からはこれに気をつけて・・・、というわけです。


これもまた問題解決には結びつきません。


なぜなら、これらは、事が起こってしまってから、つまり失敗してしまってから、その後に気付くものだからです。



      
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   <title>&quot;対策病&quot;とは？　その3</title>
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   <published>2011-09-11T06:20:23Z</published>
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   <summary>対策を並べたところで、対応がうまく運ぶわけではないのです。 第一に、対策はその相...</summary>
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      対策を並べたところで、対応がうまく運ぶわけではないのです。


第一に、対策はその相手である対象によって著しく変わること。


第二に、状況はたえず変化しているのであり、したがって、これさえやればよいという完壁な対策はありえないこと。


たとえその時どきでありえたとしても、たえずそれを用意するのは不可能に近いこと。


第三に、決めた通りに完壁にやることは困難なこと。


・・・この3つの理由からです。


対策は、対応の道具にすぎないのです。


さらに、対策の数は少ないほうがよい対応になると言いたいのです。


対策の量が多いということは、それが個別対策になっているということであり、ということは、対象をよく掴んでいないということだからです。


また、対策を数多く用意すると、それに頼ってしまって、状況への対応よりも、対策を実行することに囚われてしまったり、それを守ることに一生懸命になってしまうからです。


組革研においても、用意された対策の量が業績に逆比例することのほうが多いですね。


      
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   <title>&quot;対策病&quot;とは？　その2</title>
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   <published>2011-08-31T06:19:52Z</published>
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      F1を捉えるための材料は、そのつもりならいくらでもあります。


しかし多くの人たちは、ちょっと説明書を読んだだけで、すぐ「わかった」と思ってしまい、その瞬間に、対策が頭に浮かんできてしまうようです。


そしてその夜、実際に行動してみて、「わかっていなかった」ことを身をもって体験することになります。


お互いに迷惑をかけ合い、夜中に山の中を3、4時間も右往左往して駆けずり回るという、手痛い思いをすることになります。


それでもまだ、懲りない人のほうが多いですね。


中には、対象を捉えることとそれに対応することとの区別がつかない人さえいます。


すぐ原因、対策を数十年にわたってやってきているので、すっかり体質化してしまっているのでしょう。


ここから脱け出るまでに、3昼夜もかかることがあります。


&quot;対策病&quot;もまた、新しい問題に対して古い知識・答で勝負するということであって、&quot;原因病&quot;と同じものです。


      
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   <title>&quot;対策病&quot;とは？</title>
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   <published>2011-07-31T06:19:02Z</published>
   <updated>2011-07-31T20:56:02Z</updated>
   
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      原因の決めつけに劣らず激しいのが、すぐ対策を考えてしまうことです。


ちょっとやそっとではありません。


まさに、&quot;対策病&quot;です。


組革研での仕事は、対応すべき仕事の対象を捉えることからスタートします。


つまり、F1を知らずしてF1と闘って業績を上げることは不可能なので、まずそれを明らかにすることを、キャンパス方針によって強く求められます。


しかし、90パーセントの人びとは、そのようには動けず、すぐ対策を考え出してしまうのです。


原因の決めつけの場合と等しく、キャンパス方針がわからないのではありません。


言葉としてはよくわかっているし、もちろん、方針通りにやろうとしているのに、です。


      
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   <title>農民層の階層区分について　3</title>
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   <published>2011-06-27T04:16:52Z</published>
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      下側で支えている労働者が、連帯する者がいないという段階にきているわけで、労働組合の問題にとっても、労働者ないしは農民をどのように自分の味方につけていかなければならないかということを、労働運動の方からも提起されているのではないかと、私は思っております。


そういう意味で本来、これは労働組合の方から、ないしはそれを組織する政党の側から出されるべき問題であると思っています。


それでも出してくれないということであれば、労働の側から出さざるをえないわけです。


第ニは、消費、例えば生活クラブ生協等が実は農民を組織していること。


もちろん全国的なものではなく地域的なものでありますが、地域の運動の組織というかたちで消費者(労働者といってもいいかも知れませんが)がその運動を組織するようになってきているということが注意されなければなりません。


その場合は、農業それ自身に関心があるといいます。


そしてその食糧というものがどのようなかたちで生産されているか、基礎には有機農法であるとか、農薬の問題であるとか・・・


食品添加物の問題というものをその奥にもっているわけですが、そういうことを媒介にしながら今や消費組合ないしは労働組合の方が農業を見つめています。


農業の方は兼業化のために特定のもの・・・


例えば大潟村の問題であるとか、三里塚とか、北富士では地域的な特性のためにそれなりのことがあるわけですが、そうでない一般的な地方にとってみれば、兼業問題というものは、今や農民の組織ができない状態にされているのです。



      
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   <title>農民層の階層区分について　2</title>
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   <published>2011-05-27T04:14:05Z</published>
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      第一は、やはり兼業という点、それから小農制、すなわち小土地所有制という点を一つ押さえるということ。


もう一つは、組織がないという点での前提、というものが必要だと思います。


ただ、その組織がないということは、逆に今度は巨大な農協組織があるという裏面(そちらの方が正面かも知れませんが)がある。


農民自身の組織はないが農協の組織はある、といった点も考慮に入れなければならないと思います。


農協を何らかのかたちでとらえない限り農民の組織というのは、全日農の段階ではとらえきれない。


もう地域的に東北の一部、北越というような所に限られてしまっているのが実状であるわけです。


要するに米をもって日本の農民組織=全日農組織ができているということの裏返しでしかないわけですが、米を中心にしてしかそういった組織が存在しないということであります。


ところで労農同盟というのは、日本の大きな革命、ないしは革命でなくとも生活権の保護という点において、本来労働運動の側からまず提起されるべきものであると思います。


労働運動の方も、今や農民運動の必要性を認めなければ労働運動の方で、企業別に組織されてしまった労働組合というかたちではもはや上下組織の中でしか活動ができないということです。


      
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   <title>農民層の階層区分について</title>
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   <published>2011-04-27T04:10:37Z</published>
   <updated>2011-04-27T20:55:34Z</updated>
   
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      もともと農業問題ということば自体、カウツキーの、ドイツ社会民主党が農民層を把握しなければならない、という発言から出たわけですから・・・


そういった同盟というような考え方が基礎にあってそれで階級区分論が、大農-中農-小農、ないしは富農-中農-貧農、という格好になってきたと思うわけです。


しかしそれは戦前の段階、特に土地の所有権というものが大土地所有権というかたちで成立しており、さらにその農村が閉鎖的な一つの社会体系をもちえます。


そういったときに農村内部の階級構造というものができる、ということです。


・・・例えば、ロシアであるとか、中国であるとか、といったところにおいてはこの階級区分というものが意味を成していますが・・・


先進的な資本主義国の日本」ということになりますと、少なくとも戦前の段階においてはそれが言えたとしても戦後、特に農地改革を経て、さらに高度経済成長を経た段階においては・・・


もはやそういった区分論ができる社会情勢自体が失われている、と考えられます。


それではどのようにして新たなフレームワークを設定しなければならないかという問題になります。


      
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   <title>色彩史　7</title>
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   <published>2011-03-16T05:10:17Z</published>
   <updated>2011-03-16T20:55:29Z</updated>
   
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      それぞれの色が秘めているすべての物語を知るには、色名はあまりにも細い手がかりにすぎません。


色名はあくまで色の名前でしかないのです。


人間が発明し創作したさまざまな色名を見ていると、色のさまざまな側面を見ようとしても、結果としてはすべての色の詳細なことはわかりません。


どれだけ言葉を連ねても、和洋古今の色名を見ても、色名はあくまで色名であって、結局色は色のままである事実に変わりはありません。


人間はどのような過程を経て色の認識を深め、その体験をどのように色名をいう抽象名詞におきかえてきたか考える手がかりとして、バーリンとケイによる各種言語の『基本色彩語』に関する調査研究（1969年）というものがあります。


この研究以前にも、語源学的、民俗学的な色名研究や、心理言語学の分野の実験的な色名の研究などが知られていました。


そこには多種多様な異文化、異言語間の色名の比較研究はあまりなく、ほとんど同じ社会に属する人々の指揮名の問題が扱われていただけでした。


      
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   <title>色彩史　6</title>
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   <published>2011-02-06T06:09:43Z</published>
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      バラはやはりバラで、あくまでバラであり、しかもバラであり、結局バラなのだ。


――ガートルード・スタイン




アメリカの知識人たちが好んで引用する女流作家ガートルード・スタインの右の名文句は、どんな名で呼ばれようと、バラはバラであることに変りはないといっているのです。


彼女は、アメリカ人としては、おそらくピカソの天才を発見した最初の人物のひとりであり、そして、まだ無名の貧乏画家だったピカソを支援した初期のコレクターのひとりでもあったということで、彼女のこの言葉は、それなりの説得力をもっています。


ピカソも、いかにも青年期の彼らしい力強い表現で、当時のガートルード・スタインの肖像を描いています。


ある人がこの作品を見て、あまりモデルに似ていないといったら、彼は


「そのうちに彼女のほうが似てくるさ」


・・・と答えたというエピソードが伝えられています。


その作品はいま、ニューヨークのメトロポリタン美術館にあります。


どんな名前で呼ばれようと、色は結局色です。


赤はあくまで赤であり、青はやはり青なのです。


      
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   <title>色彩史　4</title>
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   <published>2011-01-06T06:07:28Z</published>
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   <summary>20世紀になると、どこの工業国でも、色の呼び方や色の記録方法に苦労するようになっ...</summary>
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      20世紀になると、どこの工業国でも、色の呼び方や色の記録方法に苦労するようになった事情は同じでした。


そのためにカラーシステムが実用化され、一方ではすべての色を、修飾語と基本色名で表す系統色名法が考え出されました。


しかし、英語やフランス語の色の修飾語がきちんと定められているのに比べると、日本語の色に関する修飾語は、目下のところある種の選択を迫られているといえるでしょう。


日本特有の色彩文化を重視すれば、淡、薄、浅、深、濃、若、老、鈍、鼠などの伝統的な修飾語の生かし方も考えなくてはなりませんし、もっと単純で規則的な修飾法・・・


たとえば、明るい、暗いなどの反対語に、やや、かなり、非常に、などの程度を表す修飾語をつけて、やや明るい赤、かなり暗い青などという呼び方にすることも考えられます。


それとも、そっくり英語にしてしまうということもひとつの選択であり、事実、英語の系統色名法はすでに日本色彩研究所でも活用されています。

      
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   <title>色彩史　4</title>
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   <published>2010-12-16T06:07:28Z</published>
   <updated>2010-12-16T13:52:11Z</updated>
   
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      20世紀になると、どこの工業国でも、色の呼び方や色の記録方法に苦労するようになった事情は同じでした。


そのためにカラーシステムが実用化され、一方ではすべての色を、修飾語と基本色名で表す系統色名法が考え出されました。


しかし、英語やフランス語の色の修飾語がきちんと定められているのに比べると、日本語の色に関する修飾語は、目下のところある種の選択を迫られているといえるでしょう。


日本特有の色彩文化を重視すれば、淡、薄、浅、深、濃、若、老、鈍、鼠などの伝統的な修飾語の生かし方も考えなくてはなりませんし、もっと単純で規則的な修飾法・・・


たとえば、明るい、暗いなどの反対語に、やや、かなり、非常に、などの程度を表す修飾語をつけて、やや明るい赤、かなり暗い青などという呼び方にすることも考えられます。


それとも、そっくり英語にしてしまうということもひとつの選択であり、事実、英語の系統色名法はすでに日本色彩研究所でも活用されています。

      
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   <title>色彩史　3</title>
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   <published>2010-12-06T06:06:42Z</published>
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      メルツとポールの色彩辞典には、3000語を超える色名が収録されていて、それぞれの色名について初出文献の年代が紹介されています。


その中、万葉集の時代に相当する8世紀頃にすでに使われていた色名は、さんざしの「ホゥ」と「グラスグリーン」を除けば、レッド、イエロー、グリーン、グレーなどの基本色名だけで、全体のわずか0.2%を占めるにすぎません。


平安朝の頃の10世紀から11世紀頃に出現した色名も0.5%程度です。


チョーサーが『カンタベリー物語』を書いた14世紀になって、やっと全色名の2.4%の色名が文献に登場するようになり、16世紀から17世紀にかけて、飛躍的に色名の数が増加しています。


この時代に13.2%の色名が創作されています。


つまりシェイクスピアの活躍期の前後です。


そして、この色彩辞典の81.4%の色名は、18世紀以後にはじめて定着するにいたった色名なのです。


このような色名の発生と発達について、日本と英語圏の国ではまったく別の過程を辿っています。


それはおそらく、彼我の色彩文化の本質となんらかの関わりがあるに違いないでしょう。


      
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